意志の強さは千利休に学べ

千利休

日本人なら一度は名前を聞いたことがあるだろう、千利休。歴史の授業でも耳にしたことがあると思います。千利休は、わび茶を完成、そして発展させた人として有名ですが、今回は、千利休についてもっと掘り下げて知っていただこうと思います。

千利休の生涯を追って、彼の生き方や思想をご紹介していきます。

生まれは大阪堺の魚問屋

千利休が生まれたのは、1522年、安土桃山時代です。利休は、貿易で栄える国際都市で、京都に匹敵する文化の発信地である、大阪の堺に生まれました。堺は、商人が自治しており、大名の支配のない自由な土地だったと言われています。

利休の父は、堺で名高い商人であり、家柄はとても良かったと言われています。そのため、利休もしっかりとした品位や教養を身につけるために、16歳で茶の道に入ります。そして、18歳で、武野紹鴎(たけのじょうおう)という当時の茶の湯の第一人者の弟子入りをします。

これが、利休と茶の湯の出会いです。

「不足の美」を追求し、茶の湯を大成

茶の湯

出典:simigon.cocolog-nifty.com

利休は、茶の湯の修行をする中で、師匠である紹鴎の「不足の美」という”不完全だからこそ美しい”という精神を受け継ぎます。紹鴎は、「不足の美」の精神のもと、高価な茶道具などではなく、日常生活で用いられているような粗末なものを用いることで、茶会の簡素化を図ったと言われているのですが、利休はその紹鴎の”わび”の精神をさらに発展させ、茶道具だけでなく、茶室の構造や作法など、茶会全体の様式の簡素化までも図ります。

例えば、利休は、「待庵(たいあん)」と呼ばれる2畳敷の茶室を作ったと言われています。こちらは、京都の仏教寺院・妙喜庵にある、日本最古の茶室だとされています。

2畳のお部屋なんて狭いなあ、と私なら思ってしまいますが、利休は茶室の広さはこれで十分だ、と考えたのでしょう。利休の無駄をそぎ落とす精神を感じることができますね。

また、こちらの茶室、広さが2畳しかないということに加え、入り口もとても特徴的なんです。実は、「待庵」の入り口は、「にじり口」という低位置にある狭い入り口になっているのです。現在の茶室でも、「にじり口」になっているものが多くあるので、ご存知の方もいらっしゃると思います。

「にじる」というのは、「座ったままの姿勢でじりじりと前に進む」という意味の動詞ですが、「にじり口」は、そんな「にじる」動作をしなければ潜り抜けることはできないほどの、小さな入り口です。

利休が、この「にじり口」を設けた理由は、利休が「茶室に入る人間はみな、身分の上下に関係なく平等であるべき」と考えたからと言われています。というのは、この狭い「にじり口」を通るためには、どんなに偉い人でも、いったん頭を下げて身をかがめなければいけませんし、武士であっても、刀を差したままだとつっかえてしまうため外さないといけないのです。

確かに、身分の差が茶の席にまで及ぶことは、茶の湯を純粋に極めたい利休には言語道断だったのでしょう。

信長、秀吉に仕える

利休は、戦国時代を代表する武将、織田信長、豊臣秀吉に、茶人として仕えます。信長や秀吉は、武力や政治だけでなく、文化の方面でも一級人になろうと目論んでいたので、茶の湯の大成者である利休に目をつけないはずがありません。

秀吉は、関白就任の返礼で開いた禁裏茶会で、天皇に自ら茶をたてたのですが、その茶会を取り仕切ったのは、他でもない利休。この頃、「秀吉に意見を言えるのは利休しかいない」とまで言われています。

利休は、当時、最も有名で、権力のあった茶人であったことが想像できます。

秀吉との価値観のズレ

そんな名実ともに第一人者であった利休も、次第に秀吉との間に価値観のズレを生じるようになります。

はじめにご紹介したように、利休が目指したのは「不足の美」。徹底的に無駄をそぎ落とされた素朴で簡素なものです。それに打って変って、秀吉が好んだのは、豪華絢爛なキラキラのもの。秀吉が作らせた、全方位金ぴかの黄金の茶室を、みなさんもご存知だと思います。

ここに、価値観のズレを見ないわけにはいきません。

利休は、このような価値観のズレによって、秀吉との関係を悪化させていきます。利休が、秀吉のご機嫌を取り、食い下がれば、事は丸く収まるのですが、利休は茶の湯の第一人者。自分が、師匠など偉大な先人たちからの流れをくみ大成した”わび茶”に絶対的な誇りを持っているので、いくら天下一の武将だからと言って、秀吉に対してでもひるむことはありません

このような利休の譲らない態度に、秀吉は立腹。様々ないちゃもんをつけて、利休をどんどんいじめていきます。そして、しまいには、使者を遣わし、利休に切腹を言いつけます。

切腹を言いつけられた利休は、そこから逃げることなく、使者に最後に茶をたてた後、静かに切腹したと言われています。

最後の最後まで、自分の信念を曲げない利休の姿は、とてもかっこいいですね。

おわりに

いかがでしたでしょうか?
今まで千利休という名前くらいしか知らなかったという方も、利休に興味を持っていただけたら幸いです!
利休が使っていたと言われるお茶碗なども、調べたら画像が出てくるので、調べてみてくださいね〜。

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