最先端を追う。ハイカラは文明人の証なり

ハイカラ

卒業式のシーズンになるとたまに見かける、袴姿の学生さんたち。服は和装でも、足元はブーツだったり。いわゆるハイカラファッションの典型です。

始まりは新聞から

新聞

ハイカラは「high collar」(高い襟)の略で、西洋風の身なりをしたり西洋の流行を追って洒落ていることです。明治ごろ流行った言葉ですが、この言葉が生まれたのは明治32年ごろ、石川半山という人物によってでした。石川半山は本名を石川安次郎といい、明治〜大正のジャーナリストでした。半山は横浜毎日新聞でハイカラという表現を揶揄するように使います。

しかし、その後半山も出席したある人物の送別会の際、来客の一人がハイカラについて言及し、ハイカラというのは文明的なものであって揶揄されるべきではない、しかもそれを言った半山氏自身も今では高い襟を付けているではないか、と演説をしました。そのことを各新聞社が大きく取り上げハイカラという言葉が流行るようになりました。

いまだに大学の卒業式ではハイカラファッションをしていく人が多くいます。これは主に和装と洋装が混ざった格好を指します。その後さらに洋風化が進んで完全に洋服に移行しましたが、一周まわってハイカラがレトロで素敵だと再び注目を集めるようになりました。昔は最先端のお洒落だったものが今ではレトロ。面白いですね。

明治に流行ったアイテム

袴

当時はどんなものがハイカラと呼ばれたのでしょう。代表的なものをご紹介します。

女学生の袴

当時は袴は男性の服装でした。明治中頃から女学生も袴を着るようになり、その姿で自転車に乗ったりすることも。男性の格好を女性がしているのですから、初めは当然のように批判の対象となり、「醜く荒々しい」などと新聞などで攻撃されることもありました。

フリルのパラソル

洋傘も流行っていて、フリル付きの日傘は女性に人気でした。一度禁止されたこともありましたが、その人気をおさえることはできず広く普及していきました。

山高帽

断髪令が出た後に明治天皇が断髪すると、政府の高官や財界人をはじめとして市民に広まっていきました。最初はイギリス製のものを輸入していましたが、しばらくして日本製のものも出回るようになりました。

マント

山高帽と共に流行った二重まわしのマント(和装用に袖をなくしたタイプのマント付きのコート)。防寒の意味もあったそうです。女性も男性も使用していましたが、どちらかというと男性用のイメージが強いですね。

ステッキ

これも男女両方が使っていました。使うと言っても歩くときの補助ではなく、あくまでお洒落として持ち歩いていたようです。明治に活躍した文豪、夏目漱石の「我輩は猫である」の主人公もステッキを持っている描写があります。

この頃の写真を見てみると、男性も女性もとても派手で華やかです。明治時代の人たちは現代人よりもお洒落だったかもしれません。

再燃のきっかけ

一時は流行したハイカラでしたが、流行は次第に必ず廃れてゆきます。でも、今でもハイカラと言って普通に通じますよね。それは、昭和50年に連載がスタートした、大和和紀さんによる漫画「はいからさんが通る」によって再びハイカラという言葉が脚光を浴びるようになったからです。西洋文化が当たり前となりハイカラが使われなくなった後も、昔風のお洒落として現在まで残っているのです。

終わりに

ハイカラは漢字をあてると灰殻となります。これには、吹けば簡単に飛んでしまうくらい軽い、つまり軽薄だと皮肉る意味が込められていました。今はこの当て字を知っている人はあまりいないでしょうし、ハイカラという言葉が悪い意味で使われることもほとんどありません。それだけ西洋の文化が浸透しきっているということなのかもしれません。新しいものにも柔軟に対応してうまく取り入れていくのは日本人の得意とするところですからね。

ハレトケからお皿の提案

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独楽ボーダーお茶碗

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ボーダーのお茶碗。ベタ塗りに白抜きのボーダーは手間がかかるから、ありそうでなかった柄。どことなく現代のハイカラな感じがイメージされます。

アイキャッチ画像出典:www.youtube.com

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