どうして「目黒」で「さんま」⁉︎目黒とさんまの深い関連性

さんま

はじめに

「目黒」と聞くと「さんま」を思い浮かべる方、いらっしゃいませんか?かく言う私もその1人。「目黒のさんま祭り」は有名ですよね!

しかし、どうして「目黒」で「さんま」なのか、その理由までご存知の方は少ないかもしれませんね。今回は、そんな疑問を解きながら「目黒のさんま」についてご紹介します!

「目黒さんま祭り」って?

目黒さんま祭り

まずは、「目黒のさんま祭り」についてご紹介します。「目黒のさんま祭り」は、毎年9月に目黒駅前商店街で開催されるお祭りです。ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、ここでは”無料で”さんまが提供されます。

また、さんまだけでなく、さんまに合うカボスも無料で提供されます。「目黒のさんま祭り」で提供されるさんまは、目黒区の友好都市・宮城県気仙沼市産のもの、そしてカボスは、同じく友好都市の大分県臼杵(うすき)市産のものです。このさんまを賞味するために、毎年2万人を超える人々が来場し、長蛇の列を作っています。

この「目黒のさんま祭り」の歴史は、意外に浅く、平成8年から始まったようです。「目黒区駅前商店街振興組合青年部」が変わってしまった目黒の駅前に昔ながらの温かさを取り戻そうと、始めたのがきっかけだそうです。すてきですね!

どうして「目黒」で「さんま」なの?

疑問

では次に、冒頭でも触れました、どうして「目黒」で「さんま」が提供されるのか、という疑問を解いていきましょう。先ほどの「目黒のさんま祭り」の内容からすると、目黒区の友好都市の特産品だから、「目黒」で「さんま」を提供するようになったのかな、と想像する方もいらっしゃるかもしれませんが、そもそもの発端はそこにはありません。「目黒」と「さんま」の関連性にはもう少し歴史があります。

というのは、「目黒」と「さんま」の関連性の発端は、落語の「目黒のさんま」という話にあるからです。

「目黒のさんま」という落語は、簡単にまとめるとこんなお話。

時は江戸時代。あるお殿様は、今の目黒区のあたりまで、馬に乗って鷹狩りに行きます。今でこそ、目黒といえば23区内の都会ですが、江戸時代では、郊外の風光明媚な行楽地。江戸城から目黒までのそこそこの距離を、馬の足で進むわけですから、移動時間は結構長くなります。ですので、目黒に着くころには、お殿様のお腹はぺこぺこに空いてしまいます。

そこで、お殿様は、農民たちの食べていた焼きさんまを所望し、熱々のさんまを食します。空腹のお殿様が、そのさんまのおいしさに感動したことは言うまでもありません。そのおいしさは、お城に帰ったお殿様の頭からも離れることなく、後日、お殿様はさんまがどうしても食べたくなり、料理人にさんまを出すように言いつけます。

そこで、料理人はさんまを買い付け、さんまを調理するのですが、その調理方法が農民のそれとは大きく違っていたのです。料理人は、お殿様の健康を気遣って、余分な脂を抜くために、さんまを蒸して調理します。また、骨がお殿様の喉に引っかかると大変なので、骨を丁寧に抜き取ります。その結果、お殿様に出されたさんまは、目黒で食べたさんまとは別物。おいしさも感じられなかったのでしょう。お殿様はそこで、「さんまは目黒に限る!」と言うのです。

この落語にちなんで、「目黒」で「さんま」を提供しようとなったのです。

おわりに

いかがでしたでしょうか?
「目黒のさんま祭り」について、いろいろ知っていただけたのではないでしょうか?
ちなみに、残念ながら今年の「目黒のさんま祭り」は、9月4日(日) に終わってしまいました。気になった方は、また来年ぜひ足を運んでみてください!

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